Ise (伊勢)

大学の人類学の先生は8年間ぐらい伊勢神宮で研究が寺働いていたので、授業でよく伊勢神宮の話を聞かせてもらっている。日本にとってどれだけ大事なのか、どれだけ省庁を持っているか、何回も聞くうちに、行きたくなってきた。日本の所謂三種の神器、八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の八咫鏡は伊勢神宮の皇大神宮に安置されているそうだ。

伊勢神宮がほかの神社や神宮と違うところはやはり20年に1回行われる「式年遷宮」という大きな祭りである。伊勢神宮のホームページによると、この「式年遷宮」というのは、正殿(しょうでん)をはじめ、御垣内(みかうち)のお建物すべてを新造し、さらに殿内の御装束(おしょうぞく)や神宝を新調して、神儀を新宮へお遷し申し上げる、日本で最も重要なお祭りのひとつだということだ。そんな重要な役割を担ぐ日本の神宮には絶対一度行ってみようと思った。

2009年が終わる寸前の12月30日に友達に誘われて、思わず快諾した。百聞は一見にしかずー伊勢神宮の境内を歩いているだけで、先生の顔と話がどんどん思い浮かんできた。

初詣で賽銭するところまでめちゃくちゃ長い列ができていた。人混みに巻き込んで並んだ。冬の深夜だったので気温が0度ぐらいだった。家を出る前に天気予報をチェックしておけばよかったのに、伊勢市の天気を全く知らずに東京の日ごろに普段着る服(Tシャツと長袖とジャケット)だけで行ったのだ。普段だと人の多さに呆れたはずだろうが、この夜だけは人の多さと温かさほどありがたいことはなかった。

それでも、かなり薄着で来てしまったので、終始一貫体が震えていた。新年早々不吉なことではあるが、並んでいるときに本気で凍死するかと思った。150メートルの距離を移動するのに2時間ぐらいかかった。もう寒くて寒くて初詣する前に倒れてもおかしくなかった。口も動けなくて、足も痺れてきて、全身麻痺状態だった。最後まで賽銭できたのは奇跡だったのかもしれない。

その後、定番の初日の出を見に行こうと近所の高台に登った。これが・・2010年の最後の月の沈みだった。

そして、高いところから見た景色と日の出もとても奇麗だった。太陽が水平線から昇る絶景はもちろん感動するのだが、それに伴う温かさが一刻も凍りかかった体を少しずつ解凍してくれるといいなと、密かに願いながら日の出を待ち構えていた。

地球が1年間かけて太陽を一周回ってきて、新しい一周を回り始める瞬間を目撃できるのは幸せだった、太陽が現れるまで周りの人は楽しくおしゃべりしていたが、最初の光を差し込んだ瞬間から、周りが静まり返った。

数分前は真っ暗だった空が淡々と灯ってきて、楽しい思い出も悲しい思い出も辛い思いでを抱え込んだ2009年がまるでそのすべてを肩から下して歩いて去って行くかのようだった。その後姿を眺める、そこにいた私たちは、お互い知らないのにもかかわらず、みんなそれぞれ自分の過去の1年を振り返っていた。人生は楽しいことばかりではない。でも、辛いことばかりでもない。どんなことがあったとしても、それは2009年が過ぎ去るのと同時にすべて単なる「思い出」になる。

1年間にわたって地球上で起こっているあらゆる出来事―人類がやり遂げたこと、戦争や争い、自然災害などを、太陽がすべて見ていた。そんな太陽が長い旅を経て、あたかもその旅で習った何かとても大切なメッセージを伝えにきたかのようだった。見ている人が黙りこんで耳を澄ませて聞いていた。

夫婦岩(夫婦が寄り添っているように見えることから夫婦岩と名付けられた)

Kochi (高知)

高知の市内に行こうと思ったが、まさかの時間切れで、途中の豊永という駅で降りて、散策した。

誰もいない豊永駅

近くの川で釣りしている人を発見!

それより、この時刻表にびっくりした!一日電車9本しかない!

たまたま見かけた可愛い電車。

そして、過激にお洒落なレストラン。ちなみに、メニューはごく普通だった(笑)

Kagoshima (鹿児島県)

鹿児島で観光するならシティービュー一日パスポートを買うのがお勧めである。鹿児島の市電、観光電車、市バスは一日乗り放題のほか、観光施設に入る時も割引が効くので、シティービューを持っていれば、鹿児島市内を一日安く観光することができる。

南九州最大の商店街:天文館商店街

歴史オタクには、鹿児島と言えば、西郷隆盛!

私が最初に向かったのは桜島だった。桜島の面積の多くは山に占められ、平地はほとんどないという。明治の前に多くの人が住んでいたが、大正時代に起きた大きな噴火により、一万人以下に激変したという。2010年には4000人しか残っていないという。

桜島へ向かう船の中で桜島の地図と観光パンフレットをめくっていたら、最初に目を奪ったのは「桜島自然恐竜公園」だった。

もしかしたら、昔々、桜島には恐竜が住んでいたのではないだろうか?と妄想を走らせてみた。なら道理で、「恐竜公園」なんかがあるわけだ。恐竜公園には、何億年も前に残された恐竜の化石が見られるとか、恐竜の勉強になる博物館もあるかもしれない。確か、恐竜も火山の噴火で大量に無くなって結局絶滅したという話は聞いたことある。桜島には、何億年も前にきっと恐竜が暮らしていたと、自分に頷きながら桜島に向かった。

かなり険しい曲がりくねった道を上って間もなく、何億年も前に絶滅した恐竜が目の前に現れる。いや、もちろん本物でもなく化石でもなく、すべて作りものだった。少しがっかりしたが、そんな突拍子もない想像をして期待しなければよかったと思った。

恐竜公園を去ってなぎさ遊歩道に沿って歩いて、烏島展望所に着いた。展望所から普段なかなか見られない溶岩平野が見渡せてとても落ち着く場所だった。そのさらに先には、長渕剛オールナイトコンサートを記念として桜島の溶岩で制作された「叫びの肖像」というモニュメントがある。鹿児島県出身の長渕剛は、日本人なら誰もが知っているような有名な歌手・俳優である。こんなに出身地の県民に愛されるだけあって、肖像まで作られたという。「叫びの肖像」を見るだけで、彼の歌の迫力とパワーが伝わってくる。当時は長渕さんのことを名前だけ知っていたので、家に帰ったらネットで検索して長渕さんの桜島でのライブの映像を見てみた。本当に迫力があってびっくりした。

ちなみに、最近習った鹿児島弁には「ワッゼモジョカ」というのがある。皆さん、聞いたことあるのでしょうか?発音から推測できるかな?私は、聞けば聞くほど恐竜の名前にしか聞こえなくなってきた。やっぱり鹿児島には昔絶対恐竜がいたって!しかし、正直、「鹿児島弁」だと知らなかったら、絶対日本語とは思えないだろう。英語かドイツ語だと思うだろう。

では、正解を教えよう。「ワッゼモジョカ」は二つの言葉からなっている。「ワッゼ」と「モジョカ」です。「ワッゼ」は「とても」で、「モジョカ」は「可愛い」という意味だそうです。合わせて「とても可愛い」、または「めっちゃ可愛い」という意味になる。やっぱり方言は面白いね。

Kumamoto (熊本県)

熊本ラーメン

馬刺し!味はそこそこだったけど、その驚愕の値段は印象に残った・・・

ちょっと謎のお土産:馬刺しせんべい

それから、熊本と言えば、行かなければならない観光地がある。それが・・・阿蘇山!

Kyoto (京都府)

日本の旧首都でもある京都はその雰囲気を壊すことなく、現代の技術や変化を取り入れながら昔の風景をそのまま保っている。東京も同じような感じだが、懐かしさがよみがえるようなところがあちこちに散らばっていて、どちらかというと、東京は現代の要素が高い一方で、京都は昔の社会をそのまま残して、現代の要素を少しながらも取り入れている気がする。

京都の魅力は多々ある。観光地も数えきれないぐらいある。いや、むしろ街を歩いていること自体がごく特別な体験だと言ったほうがましかもしれない。それぐらい京都は世界に誇れる都市だと私は思う。東京や大阪みたいな大都市は発展しすぎていて、世界の他の大都市とは、言語という差を除いて、ほとんど変わりはない。人々の頭に刻まれている都会風景はだいたい東京と大阪の風景に当てはまる。しかし、京都は違う。特に京都の祇園の町をぶらりと歩いていると、世界の他の都市ならぬ、京都にいる実感がどんどん湧いてくるのだ。普通に歩いているうちに、その古びた匂いのする空気に住みこまれそうになって、路地裏で舞妓さんがちらりと見られるような幻想にすらなる。

鴨川

京都大学

2008年の秋に京都に行ったのだが、京都市内、そして嵐山の紅葉の景色はもちろん素晴らしかったが、それより印象に残ったことがある。11月の連休に行ったので、連休を使って旅行する人のラッシュに巻き込まれて、街を歩いていると、聞こえてくる言語は実に面白かった。

一番耳に入ったのは関西弁だったが、二番目に聞こえた言語は日本語ではなく、英語だった。それだけ海外からの観光客が多いことが伺える。そして、日本語の標準語が三番目だった。そのほか、中国語と韓国語も圧倒的に多くて、たまにはスペイン語やフランス語も耳に入ってくる。目を閉じれば、どこにいるか迷いそうな気はなくもない。

抹茶八橋

世界三大景色の天橋立

Setouchi International Art Festival(瀬戸内国際芸術祭)

「ね、デニス、知ってる?今年の夏に四国で芸術祭が行われるんだって。俺、ずっと行きたかったんだけど、なかなか予定が合わなくて行けないんだ。デニスが代わりに行ってくれよ。」とある日、友達に言われた。

私は正直美術館に何時間も滞在しても飽きないような人でもなく、ひとつの美術作品をじっと見て楽しめるような人でもない。そもそも芸術というのは何かをうまく説明できるような人でもない。そんな私は当時、さほど興味を示さなかった。「あ、どんな芸術祭なの?」と、とりあえず相槌を打ってみた。

「なんか、四国の島々にいろいろな展示があって、船で島々を回りながら芸術祭に参加できるんだって。それぞれの島に一泊ずつ泊まったりして一週間ぐらいかけて全部回れるらしいよ。」

私は芸術や美術というものを知らないのかもしれない。しかし、私はどちらかというと、想像力に富んだ人なのかもしれない。何か少し変わったものを目の前にして、私は想像力を自由に走らせ、自分の世界に飛び込み、仮定の世界で泳ぎまわって遊ぶのが好きだ。美術を楽しむのと多少似ているところはあると思うが、一か所にずっと閉じ込められてある作品を観るという、限られた空間では、私の想像力も大きく妨げられる。前にも書いたように、私は移動するときに頭と想像力が一番働くかもしれない。自然という無限大の空間で、時間が過ぎるのと同時に、私の想像力もそれを追いつこうとせんばかりに、爆発するのだ。

友達の簡単な説明を聞いて、私はすぐその芸術祭に対して興味が湧いてきた。一か所に閉じ込められることなく芸術を楽しめるし、私の大好きな移動もたっぷり堪能できるし、私はこの芸術祭に参加しない理由がどこにも見当たらなかった。たとえ美術が抽象的すぎてわからなくても、四国に行くいいチャンスにもなるし、島めぐりも楽しそうだから、私は翌日早速瀬戸内国際芸術祭の詳細を調べてみた。

まだ大学生なので、やはり金欠という大きな壁を越えなければいけないので、私は夜行バスで四国に行くことにした。

香川名物:讃岐うどん!

高松名物:骨付き鶏!

ホームページによると、瀬戸内国際芸術祭は、「瀬戸内海の島々を舞台に開催する現代アートの祭典です。」3年ごとに行われる催しで、2010年に第一回が行われたので、次回は2013年に再び開催する予定だそうだ。瀬戸内海にある、直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島といった島、それから高松港周辺を会場とし、18の国と地域から75組のアーティストとプロジェクトが参加する膨大なイベントなのである。

昔から活発だった瀬戸内海が今や、都市化による島々の過疎化と高齢化という問題が深刻になっていて、地域の活力が低下しつつあるのが現状である。その懐かしさと活力を取り戻そうと、瀬戸内国際芸術祭が開催されたということ。公式ホームページによると、ART SETOUCHIは、「民族、芸能、祭り、風土記という通時性」と「現代美術、建築、演劇という共時性」を交錯させ、瀬戸内海の魅力を世界に発信するプロジェクトだ。

瀬戸内国際芸術祭は7つの島もあって島々を回るのに船に乗らなければいけない。島での滞在時間や、船の時刻表などを考慮して、ちゃんと計画して行った方がいい。島の大きさによって、数時間から半日、一日までかかる場合もあるので、すべての島を回るのは数日滞在しなければいけない。瀬戸内国際芸術祭のガイドブックを買うのをお勧めする。中には、島や作品の紹介はもちろん、船の時刻表、注意事項、お勧めなルートやプランなども書いてあるので、船に乗っている間にガイドをぱらぱら捲れば、色々お得な情報が手に入る。

直島みたいな大きい島だと、駆け足で作品を観るのには5時間ぐらいかかるし、作品をゆっくり回りたいのであれば1日ぐらいかかるらしい。男木島みたいな小さい島だと、駆け足で見る場合は1時間半があれば十分だという。

ガイドブックの最後にはシールブックというのがある。7つの島の地図、それから「お気に入り」とか、「ご飯を食べた」とか、「海を眺めた」とか、「誰かを思った」とか、「夕陽を見た」とか、「キスした」とか、「泊まった」とか、色々なシールが入っている。自分の実際にしたことを記念にするために、シールをはがして地図で実際に行ったところにそのシールを貼るのだ。この芸術祭での思い出を日記に書かなくても、このガイドブックのシールブックを使えば、自分がどこで何をしたかが一目瞭然。

直島のベネッセハウス美術館のレストランの屋外テラス席で瀬戸内海の絶景を眺めながらスパーゲッティを啜る最高な気持ちは今でも忘れられない。目の前の景色を思わず写メて友達に送った。

「わー!すげぇ奇麗!!今すぐでもあそこに飛んでいきたい!」と友達から返事がきた。私もあそこで瞬時飛べる気がした。自然という大きな芸術作品はどれほど開放感と刺激を与えるものか、そのとき鳥肌が立つほど実感できた。

ここで瀬戸内国際芸術祭で特に印象に残った作品を紹介させていただきたいと思う。

男木島の魂(ジャウメ・プレンサ、スペイン)

「この島を訪れた人を暖かく迎え入れる、半透明の空間を創設。屋根には日本語やアラビア語、ヘブライ語、中国語などのさまざまな文字が並び、日中はその影が地面に映る。そして夜は空に向かって投射する光景が広がる。」瀬戸内国際芸術祭ガイドブックより。

言語に目がない私にとっては魅力のあるアトラクションなのである。その建物の中には普通の切符の売り場、売店と待合室だけど、いざ上を見上げてみると、世界の文字に覆われる気持ちになる。くるくる曲がるアラビア文字に、1個1個何かの絵を表している中国語の漢字などが空にかかっているように見える。英語のアルファベットの隣にアラビア語文字が並んでいる。色んな国が戦争に巻き込まれる現実とかけ離れ、ここではその国々の言語の文字が平和に共存しているのを見て、なんかほっとする。もしかしたら、ジャウメ・プレンサも世界平和を願おうと、この作品を作り上げたのかもしれない。この世界は色々な言語という違いに分かれているが、この建物の中から上を見上げれば、同じ青い空のしたにいることに気づく。我々はそれぞれ違う国語を持っている。自分のアイデンティティを大事にし、他人の言語を尊敬し、理解し合うことにより、この世界はきっとより平和なところになると信じている。

思い出玉が集まる家(川島猛とドリームフレンズ、日本・アメリカ)

「「思い出玉」とは、新聞や雑誌、チラシ、包装紙などによる球状のオブジェのこと。男木島の各家庭に眠っている捨てられない手紙や日記など思い出の詰まった紙を持ち寄って持って「思い出玉」を住民たちと制作し、住宅の玄関や門、廊下や壁など随所に展示を行う。また、鑑賞者も「思い出玉」が制作ができ、作品の一部として設置。」―瀬戸内国際芸術祭ガイドブックより

私たち人間はそれぞれ自分ならではの思い出を抱えていきている。そして、嬉しい思い出や、辛い思い出など、新しい思い出を作りながら人生を生きていく。また、我々という一人ひとりの人間を区別するのは、顔や体系などといった外見だけでなく、やはり考え方と性格も重要であろう。一人一人が持つ違う性格と考え方を作り上げたのは、恐らく人生での経験なのではなかろうか。変な例えかもしれないが、人間の見方を少し変えてみれば、私たちは自分の持っている思い出の塊だ。それを如実に表しているのがこの「思い出玉」という作品。

人生経験豊富なお年寄りは大きな玉で、若い人はまだ人生経験が浅いので思い出玉が小さい。その玉を覗いてみれば、なんでこの人はこうなっているのかが伺えるかもしれない。そう考えて、この作品を鑑賞すると、だんだん面白くなってきて「思い出玉」を一個一個じっくり見るようになって、気づいたらあそこで時間をかなり潰した。

音の風景 (松本秋則、日本)

「廃屋内に壺庭のような空間を和紙でつくり、島の竹林から採った竹を素材としたサウンド・オブジェを随所に設置。かつては馬小屋や民家だった独特の雰囲気の中で、素朴でどこか懐かしい竹の調べが奏でられる。」瀬戸内国際芸術祭より

このこぢんまりとした部屋に入ると、周りが静まり返る。唯一耳に入る音はたまにしか動かない竹のオブジェによる、チーンとした音。目を閉じて、耳を澄ませば、どこか不思議な空間に入った気がしてならない。まるで目隠しをさせられ、大自然に置かれたようだ。数分間いると、静寂をでも感じるようになる。何秒かごとにティーンとする音は鳥肌を立て、心まで響いてしまう。こんなところにいてこそ、今の都会の生活では自然の音が、車や機械の雑音に完全に封印されたことに気づく。

他のちょっと怖い芸術作品。

Ishikawa (石川県)

石川県は日本一年間降水日数の多い都道府県だと言われているが、幸い私が行った時、雨は降らなかった。金沢は完全に都会なのだが、駅からバスで10分離れるところには長町武家屋敷や、妙立寺など、歴史のある場所がいくつかある。私が一番気に入ったのは東茶屋街だった。平らな敷石を敷き詰められた道の左右には紅殻格子の茶屋が並んでいる。懐かしい江戸時代の匂いすら漂っていて、東茶屋街を歩いていたらまるでタイムスリップしたかのように、その静まり返った雰囲気に陶酔していた。

私が一番気に入ったのは東茶屋街だった。平らな敷石を敷き詰められた道の左右には紅殻格子の茶屋が並んでいる。懐かしい江戸時代の匂いすら漂っていて、東茶屋街を歩いていたらまるでタイムスリップしたかのように、その静まり返った雰囲気に陶酔していた。

東茶が屋で店に入ってデザートを堪能。おいしかった~

こちらは金箔で色々な品物を作る店だ。金箔アイス、金箔脂取り紙、金箔ハンドクリームなどなど、金箔の商品が置いてあった。中にも、こんな金箔の茶の間が・・・

キラキラして高級そうな・・・後ろにある金箔の器?かなんかが8千万円するとか・・・

日本三大絶景の兼六園

 

Chiba (千葉県)

千葉は成田空港やディズニーランドなどといった世界中に有名な名所があるというのに、さほど外国には知られていない都道府県のひとつです。なんなら、成田空港とディズニーランドが東京都ではなく、千葉県にあるということは、外国人には一般的に知られていないだろうと思われる。そもそも、東京成田空港やら東京ディズニーランドやらという名づけ自体に疑問に思われるだろう。千葉県の二つの大きなアトラクションがこうやって東京に奪われてしまった。

それ以外には鴨川シーワールドが有名だ。

イルカのショーも見れるよ!↓

それから、千葉県の房総半島には、太平洋に面している九十九里浜がある。ちょっと遠くいけば、こんなに奇麗な海があるとか。

個人的な思い出なのですが、2004年に初めて日本に来たときに訪れた渋谷幕張高校の近くにある公園。

2009年のクリスマスに同じ場所に訪れてみた。

Yamanashi (山梨県)

山梨県では、世界遺産にも登録されている富士山とその周辺の富士五湖が一番有名なスポットだと言っても過言ではなかろう。富士五湖は本栖湖、精進湖、西湖、河口湖と山中湖の五つの湖を指す。

河口湖

毎年の6,7月に行われる河口湖ハーブフェスティバルも要チェックのイベントの一つです。名前の通り、河口湖のすぐ隣にある八木崎公園で入場無料・駐車無料のフェスティバルが毎年行われる。夏といえばラベンダーなので、ハーブフェスティバルではラベンダーをはじめ、色々な花で景色が彩られ、普段の単調な一面ががらっと変わって、お客様も鼓動が上がり、ストレス解消と気分転換には最適な雰囲気になる。

それから、毎年欠かさずにハーブフェスティバルで生演奏するのは、「IZANAGI」という音楽家。4台のオルガンとシンセサイザーを交互に弾きながら、絶妙なコンビネーションでとても神秘的な音楽が作られる。人々のしゃべる声、地面の石が踏まれる音、たまに吹いてくる風の音と交わり、ひとつの作品となる。自然、人、それから楽器によって作り上げられる音楽なのだ。まさに、自然とのコラボレーションという表現を使うのが最適かもしれない。その人の演奏するところには、彼の活動の写真が並べられている。山頂で日の出を背景に穏やかに弾いていそうな写真が私の目を奪った。オルガンの置く場所すら微妙なぐらいの狭いところに、彼は3,4台のオルガンとシンセサイザーを弾いていた。雲の上からの眺めも思わず息を呑んでしまうぐらいの絶景だった。

それ以外にも驚異の富士急ハイランド・・・ギネス世界記録の所持者でもある「ええじゃないか」、「ふじやま」、「ドドンパ」などなど・・・最近新しくできた高飛車も怖そうで・・・私には・・・無理・・・かも・・・

と言いつつも、友達と行ってみた!!残念ながら、噂のお化け屋敷が閉まってたので、入れなかった・・・

私はジェットコースターが好きなんだけど、富士急レベルはやっぱり私には無理だった。死ぬかと思った・・・w

少し離れたところに、もうちょっと落ち着いた観光地があるー鳴沢氷穴。

夏に行ったのだが、外の猛暑と引き換えに、氷穴に潜れば潜るほど、気温がだんだん下がっていって・・・下のほうに着いたとき0度だったとか!

↓こちらが心霊スポットの富士の樹海です。山頂から眺めると、木々が風に靡く姿が海の荒れた波に似ていることから、「樹海」と名付けられたそうだ。国の天然記念物でもあれば、有名な心霊スポットかつ自殺スポットでもあるという・・・

一回入ってみると、GPSや方位磁針が使えなくなってしまって・・・挙句の果てに抜け出せなくて・・・

という怖い話も聞いてみたが、実際入ってみると、とても落ち着いた空間で、確かに周りに霊感を感じそうになったが・・・無事抜け出せました。夜行くと、また話が違うでしょうが・・・やっぱり夜に行かないほうがよろしいと思います。

Wakayama (和歌山県)

和歌山県といえば、恐らく世界遺産に登録されている熊野古道が一番有名なのではないだろうか。いや、私は行ったことないのだが、私の大学、早稲田大学の中央図書館には、熊野古道の大きな絵が飾られているのだ。

早稲田大学の中央図書館に入ると、目の前に大きな階段がある。その階段を上っていくと、左右に分かれるのだが、分かれるところに、一本の道が森林の真ん中を通る絵が飾ってある。その道は暗闇を切り裂いて、続く先には光が微かに見える。どこの森林なのか、それとも完全に想像上の場所なのか、何かメッセージを伝えようと飾ったか、最初はさほど関心はなかったけれど、一回キャンパスツアーに参加したとき、訪問した高校生に自分の大学を紹介しなければいけなくて、もちろん中央図書館にある絵を説明しなければいけなかった。そのときに渡された資料にはその絵に含まれる意味が書いてあった。

そのときまで和歌山県のことを全くといっていいほど知らなかったので、「熊野古道、和歌山県」と読んだ時が、和歌山県の第一印象だった。どこにでもあるような森林は和歌山県を特別にすることはできなかったが、その下の熊野古道の絵の意味を読んだ時に完全に感心した・

実は、その絵には秘密の魔法がかけられていると資料に書いてあった。その絵を、階段を上った2階から見ても、1階から見ても、右、左、真ん中と位置を変えて見ても、その絵にある道はまるで、自分のいる位置から伸びていくように見えるのだ。

その絵は熊野古道を人生に例えている。人とはそれぞれ性格、考え方、学歴、背景などなどが違うけれども、必ず自分なりの道があるのだと。森林の暗闇の中でも、必ず自分の位置から希望の光への道があるのだと。こんな簡単な絵が実に深い意味が含まれるとは、私は本当に感心した。

今回は熊野古道には行けなくて残念だが、いつかきっと我が校の図書館に飾っていて、早大生に希望を与えるこの熊野古道に行ってみたいと思う。時際に行けば、何か大事なことを感じ取ったり、悟ったりするのかもしれない。