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Nagasaki (長崎県)

私の中で、長崎で一番印象に残ったのは平和記念公園だった。「祈りのゾーン」、「願いのゾーン」、「学びのゾーン」、「スポーツのゾーン」と「広場のゾーン」という五つの地区に分かれているのだが、祈りのゾーンには、原爆落下中心碑が中心となっていて、「願いのゾーン」には各国から贈られてきた追悼碑や平和というメッセージを世界中に発信するモニュメントがたくさん並んである。世界中の国々の言語は違うとも、我々はあくまでも同じく人間であるということが心に響いてくる。それぞれのモニュメントには違う言語で書かれているのはもちろんだが、訪れてきた観光客も色々な国の人が見かける。今の時代では、世界が言語の壁を越えて、ひとつにならなければならないと思わずにはいられなかった。

「願いのゾーン」の真ん中には平和の泉、その奥には巨大な平和記念像がその広場を見守らんばかりに堂々と佇んでいる。平和の泉の真ん中には当時亡くなったある少女の手記からのメッセージが刻まれている。

「のどが渇いてたまりませんでした。水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくてとうとうあぶらの浮いたまま飲みました」

当時の被害者の状況や、どれぐらい苦労していたかが生々しく頭に浮かんできそうになる。そんな水を求めながらも手に入らずに亡くなった犠牲者のためにこの平和の泉が建てられた。

そして、平和祈念像の少し変わった姿勢にも意外と深い意味が孕まれていてびっくりしながらも感動した。平和祈念像の隣には解説が書かれている。「上方を指した右手は原爆の脅威を示し、水平に伸ばした左手は平けく安らけくと平和のすすめる姿であり、頑丈な体躯は絶者の神威を示し、柔和な顔は「神の愛」または「佛の慈悲」を表し、また軽く閉じた目は戦争犠牲者の冥福を祈っている姿であります。なお、折り曲がった右足は瞑想即ち静、立った左足は救済即ち動、何れも神佛の特性を表現したものであり本像はその規模において、またその思想において、この種の彫刻としては、世界にもその類を見ない雄大な芸術作品であります。」

平和祈念像

終戦からすでに半世紀以上が経った今や、戦争や紛争が日々続いている。私たちは果たして歴史の教訓をまだ習っていないのではないだろうか?亡くなった人の瞑想を祈りながらも、戦争を促してさらに人を殺したりしているのはなぜだろうか?平和祈念像が密かに立ちながら教えてくれたのは、永遠に消えることなく常に世界に存在する脅威を認めながらも、いざというときにいつでも不運な人を救済できるような姿勢を取らなければいけない。世界が縮まった時代だからこそ、私たち一人一人にはそれぞれきっと何かできることがある。私も、この世界のために何かしなければいけないと、しばらく平和記念公園にいると、心に火がついた。

長崎駅

もちろん、長崎には他にも面白いところがいっぱいある。江戸時代に日本が鎖国されたときに、唯一海外と貿易を続けていたのは長崎だった。キリスト教の宣教が大きな理由で鎖国を宣言したのだが、オランダは貿易一筋を強調したので、長崎からオランダとの貿易は認められたとか。非常に残念ながら、今回の旅は時間の問題で出島には行けなかった。

オランダとの交流がゆえにできたハウステンボスというオランダの町並みをイメージとして再現したテーマパークもあれば、中国との貿易活動が盛んだったために中華街もある。そして、原爆に襲われた都市でもある。歴史的なスポット満載で、多彩でおいしいものがいっぱいで、交通機関の市電も安くて、長崎は本当にいい所だと思った。

長崎名物ちゃんぽん